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	<title>君は1000％</title>
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		<title>ヨーロッパ人が中世社会をそれ独自のものと</title>
		<description>意識するようになったのは、20世紀に入ってからのことである。

すでに18世紀においてビーコあるいはヘルダーは、啓蒙（けいもう）主義の中世無視の風潮に抗して、共感的想像力をすべての時代、すべての文明に対して及ぼすことを要請し、19世紀のランケも、少なくとも若いころには、「すべての時代は神に直結する」と、過去の時代の内在的理解を歴史家の務めとした。

あるいはブルクハルトは、15、6世紀のイタリア社会を見本にとって、一つの独特の型の社会と文化を認知する試みを示した。

けれども概して19世紀の歴史学は、歴史は近代社会ないし国家に帰結すると考える傾向をみせた。

この進歩史観の前に、「近代以前」は近代前史としての意味しかもちえなかった。

晩年のランケとその祖述者たち、ブルクハルトの亜流、またフランス「実証主義」史学の立場がこれであった。 </description>
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		<title>年貢は中世から近世にかけて行われた税</title>
		<description>乃貢（のうぐ）、官物（かんもつ）、所当（しょとう）、物成（ものなり）も同義語として使用されることがある。

律令（りつりょう）制下では租（そ）・庸（よう）・調（ちょう）・雑徭（ぞうよう）等の税目があったが、平安中期、律令制が解体する過程で、田率賦課の官物、臨時雑役（ぞうやく）の二系統の税目が登場し、11世紀中期以降、荘園（しょうえん）体制が確立するなかで前者の系統から年貢という税が成立したと考えられる。

文書上の年貢の語の初見は11世紀末期で、12世紀には「ねんく」という平仮名書きがみえ、「御成敗式目（ごせいばいしきもく）」の最古の注釈書「唯浄裏書（ゆいじょううらがき）」には「トシトシニタテマツル」の訓（よ）みがある。

中世では公事（くじ）と並ぶ税で、公事が用途指定的、臨時的税であるのに対して、毎年の「たてまつりもの」と理解されていた。





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